私がアール・ケアに入社したのは、2001年です。
当時は自社社屋もなく、西紅陽台のあるビルの2階に訪問看護ステーションママックの事務所がありました。その前は他の場所に事務所があったということですが、そこから移転した後に入社しました。10数名の社員がいたと思いますが、役員の皆さんの一部とママックの先輩しか現在のアール・ケアにはおられません。決して広くない事務所でしたが、皆で仕事を追いかけとても楽しい事業所でした。その後、岡山市や東エリアに訪問エリアを広げるということで、半年ほどで私は岡山市東区平島のあたりに仮事務所、といってもアパートに1階に異動になりました。先輩が引っ越しする友達からもらってきたコタツをデスク代わりにカルテを書いておりました。灘崎町の事務所にはコピー機などありましたが、もちろんそのようなものはなく、ローソンにコピーをとりに行っていました。ファクスは今では売られていない感熱式のタイプ、これが肝心な時に詰まり、締め作業の時など詰まりと格闘しながら何とか締め切りに間に合うように送っていました。
スタッフを増員する必要があり、今度はアパートではなく、賃貸の事務所に移ることが出来ました。ママック西大寺(旧キャスト)の前身です。嬉しかったですね。何とデスクとコピー機、しかもファックス機能あり。カラーは出なかったように記憶しています。何より仲間が増えたこと、アパートの時は1日中、1人の時も少なくなかったので、出勤後に次々と他のスタッフが来てくれるのは心強かったです。だいたい一番に出勤していましたが、ある日、入口のガラスドアが割れていました。明らかに泥棒に侵入されていました。幸いにもカルテなどの書類は全く手つかずでした。しかし、私がコツコツ貯めていた500円貯金をデスクの引き出しに入れており、15万円ぐらいは貯まっていたと思いますが、唯一、この500円玉貯金のカンカンだけ盗られておりました。。。セコムには入っていませんでした。私物を事業所に保管していた私が悪いのですが、これだけが盗られている事がなんとも悲しい気持ちになりました。事業所の金庫は無事でしたので。もちろん警察にも来てもらい足紋やら指紋やとってくれましたが、戻ってきましたとか捕まりました、という連絡はありませんでした。その後、現在のママック西大寺とアルフィック西大寺が併設されこととなりました。
今、社員数は400名を超え、沢山の仲間と一緒に仕事が出来ています。コピーをとる時も、「私がしましょうか?」と声を掛けてくれます。何もかも、自分でやることが多かった時と比べると、環境的にも、組織的にも、ずいぶん便利で効率的になり、守られている今ですが、それを「当たり前」ではなく「有難い」ということを忘れてはならないし、他社員にも知ってもらいたいと思うのです。
高田 良介
- 2023.09.26 Tuesday
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- 08:50
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- by アール・ケア スタッフ